第3次英蘭戦争(1672年 - 1674年)はフランスの始めたオランダ戦争(1672年 - 1678年)にイングランドが協力する形で始まった。1673年、イングランドとフランスは大艦隊を組織してオランダを襲ったが、オランダの名提督デ・ロイテルに撃退された。こののちオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(のちのイングランド王ウィリアム3世)はオーストリア・スペインと同盟を結んでフランスを包囲、フランス軍を撤退させた。戦局ふるわず、財政危機に陥ったフランスは、1675年に多額の戦争資金を募り、スウェーデン=バルト帝国の参戦を促した。しかしスウェーデンのドイツ侵攻はドイツ諸侯の反感を買い、その最前線にあったブランデンブルク選帝侯はオランダと同盟を結んで対抗した。ブランデンブルク=プロイセンの興隆は、のちの英仏の両国関係にも大きく影響を及ぼすこととなる。
さらに、イングランド議会では、オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる、という声が高まり、チャールズ2世に親仏路線の撤回を求めた。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)の娘メアリ(のちのメアリ2世)をウィレムに嫁がせて同盟を結んだ。
絶対王政と議会王政
フランス絶対王政の成立
30年余におよぶユグノー戦争(1562年 - 1598年)はフランス国内を荒廃させたが、アンリ4世(在位:1589年 - 1610年)が即位してブルボン朝が始まり、1598年にナントの勅令を発布して国内の宗教対立に終止符を打った。これによりフランス絶対王政の基礎がつくられる。1604年にはフランス東インド会社が設立され、1608年にはケベック市が建設されてカナダ植民の拠点となった。
次のルイ13世(在位:1610年 - 1643年)は三十年戦争に介入、フランスは旧教国でありながら新教側に立って参戦した。この戦争は、ドイツの荒廃、主権国家体制の成立、神聖ローマ帝国の有名無実化、そしてオランダ・スイスの独立を招いた戦争であったが、ブルボン家にとっては宿敵であったオーストリア・スペイン両ハプスブルク家に対して優位性を獲得した戦争でもあった。なお、1642年にはカナダにモントリオール市が建設されている。
フランス王ルイ14世フランス最後の貴族の反乱となったフロンドの乱(1648年 - 1653年)が平定されたのちの1661年には、太陽王ルイ14世(在位:1643年 - 1715年)の親政が始まり、同年ヴェルサイユ宮殿の造営も開始している。
「朕は国家なり」の言葉で知られるルイ14世は、「領土の拡大は最も気持ちの良い仕事である」と豪語して自然国境説にもとづき、たび重なる侵略戦争をおこなった。南ネーデルラント継承戦争(1667年 - 1668年)、オランダ戦争(オランダ侵略戦争、1672年 - 1678年)そして第2次百年戦争の皮切りとされるプファルツ継承戦争である。いっぽう東洋進出においても、コルベールが1664年東インド会社を再組織して本格化し、インドではシャンデルナゴル(1673年)やポンディシェリ(1674年)を根拠地としてイングランドに対抗しようとした。また、北米では1682年にミシシッピ川流域一帯のフランス領ルイジアナへの植民が始まった。「ルイジアナ」の地名は、太陽王の名にちなんでフランス人ラ・サールによって命名されたものである。
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イギリス議会王政の成立
イングランド王ウィリアム3世王政復古ののちもチャールズ2世はカトリック官僚を採用するなど旧教の復活を企図し、極端な反動政治を行ったため、議会は審査律(1673年)や人身保護律(1679年)を発してそれを牽制した。さらに次のジェームズ2世(在位:1685年 - 1688年)も同様の専制政治をおこなったため、ついに議会は1688年王を廃位し、プロテスタントの熱心な信者でチャールズ1世の外孫にあたるオランダ総督ウィレム3世(ウィリアム3世)とメアリ(メアリ2世)の夫婦をむかえて「権利の宣言」を認めさせた。この政変は、流血の惨事なくおこなわれたことから名誉革命と呼ばれている。ウィリアムとメアリは翌年権利の宣言を「権利章典」として発布し、イングランドはこれを機会に立憲君主国へと変貌を遂げた。
1688年、ルイ14世がドイツのプファルツ選帝侯国に対し、王弟オルレアン公の妃の継承権を主張して戦争をおこした(ファルツ継承戦争)。これに対抗してイングランド、スペイン、オランダ、オーストリアはアウグスブルク同盟を結んでフランスのプファルツ継承を阻止した。第2次百年戦争では時のイングランド王ウィリアム3世にちなんでウィリアム王戦争とも呼んでいる。