2009年07月01日

一国における経済活動の規模は

一国における経済活動の規模は、生産、支出、分配の三つの面から把握できるが、これらは等しくなるという原則のこと。三面等価の原理、三面等価の原則と呼ばれる。国内で生産された財やサービスは必ず何かの用途に利用され生産と同額の支出が行われる。生産で生まれた付加価値は、全て誰かに帰属しているので、賃金や企業所得などに分配される。このため国内総生産 (GDP) は、企業などの生産活動の側から見ても、家計の消費支出や企業の設備投資などの支出側から見ても同額になる。従って国内総生産と国内総支出 (GDE) は等しくなる。
実際の統計では誤差があるため、生産側からの推計値と支出側からの推計値を一致させるために、統計上の不突合という調整項目を計上して、二つの側面から推計したGDPが一致するようにしてある。日本の国民経済計算では、2004年度確報(平成16年度確報)から、国内総支出という表記を止め、国内総生産(支出側)と呼ぶようになった。雇用者報酬や営業余剰・混合所得など分配面からの国内総生産は国内総生産(生産側)と表記されている。
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国内総支出は需要面からは大きく、民間最終消費支出、政府最終消費支出、総資本形成、財貨・サービスの純輸出に分けられている。総資本形成は、民間住宅投資、民間企業設備投資、公的固定資本形成、民間在庫品増加、公的在庫品増加に分けて見ることが多い。財貨・サービスの純輸出も、財貨・サービスの輸出と財貨・サービスの輸入に分けて分析されることが一般的である。
民間最終消費支出には、対家計民間非営利団体最終消費支出が含まれており、家計の消費行動という意味では、家計最終消費支出の動きを見るべきである。また、家計最終消費支出には、持ち家の保有から自動的に支出が決まる持ち家の帰属家賃が含まれているため、家計の消費意欲や所得の変動による消費の動きをみる上では、家計最終消費支出(除く持ち家の帰属家賃)の動きに注目することがある。

2009年06月13日

宇宙は膨張を続けていることが分かっている

宇宙は膨張を続けていることが分かっている。1929年にエドウィン・ハッブルが遠方の銀河の後退速度を観測し、距離が遠い銀河ほど大きな速度で地球から遠ざかっていることを発見した(ハッブルの法則)。

一方、これに先立つ1915年にアルベルト・アインシュタインによって一般相対性理論が発表され、エネルギーと時空の曲率の間の関係を記述する重力場方程式(アインシュタイン方程式)が見出された。

これを受けて、宇宙は一様・等方であるという宇宙原理を満たすようなアインシュタイン方程式の解が、アインシュタイン自身やウィレム・ド・ジッター、アレクサンドル・フリードマン、ジョルジュ・ルメートルらによって導かれたが、これらの解はいずれも時間とともに宇宙が膨張(または収縮)することを示していた。

当初、アインシュタインは宇宙は定常であると考えていたため、自分が見つけた解に定数(宇宙定数)を加えて宇宙が定常になるようにしたが、後に前言撤回をした。その後にハッブルによって観測的に宇宙膨張が発見され、膨張宇宙という概念が定着した。

宇宙の始まりはビッグバンと呼ばれる大爆発であったとされている。

ハッブルの法則によると、地球から遠ざかる天体の速さは地球からの距離に比例するため、逆に時間を遡れば、過去のある時点ではすべての天体は1点に集まっていた、つまり宇宙全体が非常に小さく高温・高密度の状態にあったことが推定される。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

このような初期宇宙のモデルは「ビッグバン・モデル」と呼ばれ、1940年代にジョージ・ガモフによって提唱された。

その後、1965年にアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンによって、宇宙のあらゆる方角から絶対温度3度の黒体放射に相当するマイクロ波が放射されていることが発見された(宇宙背景放射)。これは、宇宙初期の高温な時代に放たれた熱放射の名残であると考えられ、ビッグバン・モデルの正しさを裏付ける証拠であるとされている。

しかしその後、宇宙の地平線問題や平坦性問題といった、初期の単純なビッグバン理論では説明できない問題が出てきたため、これらを解決する理論として1980年代にインフレーション理論が提唱されている。

また場の量子論によれば、発生初期の宇宙は真空のエネルギーに満ちており、それが斥力となり宇宙膨張の原動力になったとされる。

2009年06月08日

ホット・ヨガ

高温多湿(温度を38度、湿度を65%程度)の人工的に温度・湿度の空調管理が行き届いた、スタジオなどの室内で、ハタ・ヨーガ等をベースにしたアーサナ(ポーズ)を行うヨーガ。ストーブやガスファンヒータと加湿機、温度計・湿度計を使用し、換気扇などで吸排気の行える部屋で、温度と湿度を調節しながら60-90分程度のレッスン時間を用い、鼻呼吸で有酸素運動を意識し、1リットル程度の水分を補いながらアーサナを行う。特に寒い季節においては収縮し易い筋肉組織が、湿度と温度の高い環境では伸縮し易くなり、平温で行う他の運動やヨーガと比較しても、より柔軟にアーサナをとることが可能になる。また暖かい環境下で、呼吸を意識しながら身体を柔軟に動かすことで、多く発汗を促すことが期待でき、新陳代謝も効果的に上げることができ、身体・筋肉組織などの柔軟性を高めると共に、脂肪燃焼効果も運動と発汗と共に期待できるため、人気を集めている。

ホット・ヨガを行う場合、1時間で通常500ミリリットル以上の発汗することが報告されており、ワークアウト中に大量に発汗するため、普段の食事などから水分やミネラルをホット・ヨガ開始までに心がけて補うことが理想的で、怠るとワークアウト中の発汗により脱水症状を引き起こしたり、高温・多湿環境で気分や体調を害する可能性があるため注意が必要。もちろんワークアウト中も小まめに水分補給することは必須である。しかし高温・多湿環境に慣れ、発汗と共に効果的にアーサナをとることができるようになれば、新陳代謝が良くなっていくことを体重や肌つやなどの体調の変化から効果を実感できるようになり、美容や体調管理に効果がある。

またホット・ヨガの有力なルーツとして、ビクラム・チョードリーが考案した、ビクラム・ヨーガがある。1970年頃にビクラム・チョードリーが東京に来日しヨーガスタジオをオープンした際に、冬の凍てつく寒さのあるスタジオでは本場インドとは気候の異なる環境になるため、寒さを凌ぐために当時のビクラム・チョードリーの生徒たちが自宅にあるストーブを持ち寄って部屋を暖めてヨーガのレッスンを行ったのが原型とされる。その後、ビクラム・チョードリーが開設するアメリカのスタジオで日本と同様に暖房器具を使い、ビクラム・チョードリーが試行錯誤の末に、温度40度・湿度55%の室内環境下で2種類の呼吸法と26種類のアーサナの組み合わせを行うヨーガを考案。
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現在ではカリフォルニア州ロサンゼルス市に「ビクラムズ・ヨガ・カレッジ・オブ・インディア」として本部を置き、米国、日本国内以外にも世界各国に1500以上のビクラム・ヨーガのスタジオを展開している。

登録商標としてはニューディール株式会社の“Hot Yoga(R)”「 ホットヨガ(R)」、ビクラム・チョードリーの“Bikram's Yoga College of India(R)”がある。商標出願中のものとしてはビクラムズ・ヨガ・カレッジ・オブ・インディアの「ホットヨガ」がある。

2008年05月30日付けでニューディール?の「ホットヨガ(R)」の商標は、ビクラムズ・ヨガ・カレッジ・オブ・インディアとビクラム・チョードリーの無効申し立ての審決が「登録第4818106号の登録を無効とする。 審判費用は被請求人の負担とする。」とされ無効になりました。

2009年04月25日

ペルシア帝国後期

ペルシア帝国後期の皇帝の支配のもとで、彼らは2つのサトラップ、すなわち行政区に分割された。中央と内陸の部分を含む一方に対して、ギリシアの地理学者によってカッパドキアの名前が使われ続け、そして他方はポントスと呼ばれた。この分割はクセノフォンの時代以前に既になされていた。 ペルシア帝国滅亡後も2つの州は分離され続けたので、両者の区別は恒久化された。カッパドキアは内陸の州(時に大カッパドキアと呼ばれる)に限定され、これのみが本稿の焦点となる。

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カッパドキア王国はストラボンの時代にはまだ名目上は独立国として存在していた。 キリキアはその国全体の首都であるカエサレア・マザカ(現在のカイセリ)が位置する地域に与えられた名前である。ストラボンは、カッパドキアの中で2つの都市のみが名を挙げるにあたいすると考えた。それは カエサレア(元はマザカとして知られた)とティアナw:en:Tyanaで、タウルス山脈の麓から遠くない位置にあった。

2009年04月07日

ディスクメディアが主流

1990年代後半・2000年代 [編集]
プレイステーションの頃から、ディスクメディアが主流になっていった。メディアの大容量化、ハードの高性能化により、「限られた音色で多くの曲を鳴らす」という制約が大幅に緩和され、さまざまなジャンルの音楽が取り入れられるようになった。また、録音済みの音楽をストリーミングで流すという方法もしばしば登場するようになった。その結果ゲームミュージックは鑑賞用に販売されている通常の音楽CDと同等の品質を獲得するに至っている。

21世紀初頭現在の主なゲーム機の音声処理系はPCM系の録音済み波形を用いる方式が主流であり、PSGやFM音源のような単純な波形を合成する処理系を用いるものは少ない。(Nintendo DSがPSGとPCMを併装している等、部分的には用いられている)

つまり、表現の可能性がハードウェアの制約から解放され、黄金期・発展期に見られた「ハードの制約と それに対するアーティストの挑戦」から、ゲームの魅力を最大に引き出す名脇役としていかにプレイヤーの耳を楽しませるかという内容そのものの魅力で勝負する時代となってきている。また、プレイヤー操作と音との連携による新たな感覚の追求というインタラクティブアートとしての側面も注目されてきている。

サウンド環境およびその他処理性能の充実から「音楽自体をゲームにする」という発想も登場した。1996年の『パラッパラッパー』、続く1997年の『beatmania』などが先駆けとなりいずれも大ヒットを記録、音楽ゲームという一つのジャンルを形成するに至った。

機能上の分類 [編集]

テーマ曲 [編集]
ゲームの顔となる曲で、ゲームソフト起動時やプレイ開始時など、プレイヤーの注意が高まっており、かつ、操作に集中する必要がない場面で鳴らされることが多い。曲が短い場合などは、これを聞かせるために操作を受け付けないこともある。このテーマ曲を基にBGMや、後に続く連作のテーマ曲などが作られることがある(後述)。

主題歌 [編集]
役割自体はテーマ曲とやや類似しているが、ゲームから切り離しても成り立つような歌謡作品を初めから意識して制作するという点が異なる。したがって、その捉えられ方もアニメソングなどの延長線上として、歌手や演奏グループなどのアーティストに焦点が当たる傾向がある。有名アーティストとタイアップし、注目を集められる効果もある。

アニメの場合その主題歌は放送上の都合として90秒に制限されることが多いが、ゲームの場合はそれに捉われないため、120秒を超える主題歌も多く見られる。そのようなゲームがアニメ化された場合(『To Heart』や『AIR』など)、元の主題歌を使いつつもそれらを一部カットする場合もある。また、上記テーマ曲と同様、主題歌のメロディを元にしたBGMへの編曲も良く用いられる手段である。。

BGM [編集]
プレイヤーがゲームのため操作や思考に集中する必要がある場面において、場面の雰囲気を盛り上げたり状況をより印象付けるために流される音楽。長時間繰り返して流されることになるため、プレイヤーの記憶に非常に残りやすい。多くの場合は十数秒単位或いは1-2分程度の楽曲を延々とループさせて演奏する。

一般的には、曲が途切れないように曲を終端で終止させず、先頭部分と音楽的につながるように作曲することが多い。しかし、CD-DAにより1つの連続した録音済み波形をCDから読み込みながらBGMとして使用する場合などは、先頭への復帰時にCDのシーク動作のための空隙が発生するというハード上の制約があるため、曲を終端であえて終止させ、シーク動作の間を挟んでから先頭へ戻るという形式が採られることもある。

なお、メモリ容量が増加している21世紀初頭現在は、同様に録音済み波形をそのままBGMとして用いる場合でも、メモリに波形全体を読み込むことでシーク動作を排除し、連続ループ再生するケースも現れている。

ジングル類 [編集]
ステージクリアやミス時、あるいはアイテム取得時など、場面の区切りやイベントが発生したときに流れる短い曲。前述の黎明期のゲームでは、ほぼこうした曲しか存在しなかった。

ゲームミュージックによく見られる楽曲の着想方法 [編集]

楽曲の派生 [編集]
映画などと同様に、ゲーム全体に統一感が必要な場合や、シリーズ化された一連のゲームの関連を印象付けることが必要な場合には、すべての楽曲を独立に作らずに、何かから派生してゆく方が良い場合が多い。以下にその具体例を述べる。

続編ゲームにおけるテーマ曲の派生
あるゲームの続編・シリーズが作られた場合にテーマ曲を共通して用いる事がよくある。その際に全く共通して同じ音楽を用いることもあるが、多くの場合は何らかの編曲を伴う形で用いられる。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』など人気の高いシリーズでは、そのテーマ音楽がシリーズの顔ともなっている。
続編ゲームの共通BGM
テーマ曲以外にも、共通するBGMを若干のアレンジ変更などで派生させ、前のゲームの音楽を連想させる既聴感を与えるものがある。『グラディウスシリーズ』におけるビッグコアのBGM「Aircraft Carrier」はその代表例である。ゲーム内容に関連するより高度な用い方として、『ドラゴンクエストIII』では、第1作目と共通の世界観を持つために第1作目の楽曲をアレンジした楽曲を登場させたり、その中のモチーフを別の曲内で用いている。これはゲームの進行させていったある地点、「第1作目と繋がっていると判明する時点」より前から登場しており、その既聴感は効果的に働き、また楽曲自体が「世界観が繋がっている」ことの伏線になっているといえる。また『ToHeart2』のように、前作『To Heart』で用いられたBGMの多くを編曲して用い、それぞれの場面ごとに共通する音楽で前作を想起させる例もある。
ゲームオリジナルの主題歌を元にした派生
ゲームに主題歌が含まれるようになって以降、多く用いられる手段である。オルゴールやピアノなどの音色を多用した落ち着いた雰囲気の編曲が多く、ドラマの効果をあげたい部分に用いられることが多い。特に美少女ゲームの分野に多く見られる。
いくつかのテーマ曲から派生曲を作る
映画音楽では常套手段だが、ゲームミュージックではあまり見られない。例として『サガ フロンティア2』『英雄伝説シリーズ』『CROSS†CHANNEL』などが挙げられる。特に日本ファルコム製作の『英雄伝説VI「空の軌跡」』ではこの手法が豊富に使われている。
全曲を一つのテーマ曲で統一する
ゲーム全体が一つの統一されたイメージを持つことができる。これも珍しい例と言える。例としては『スーパーマリオワールド』など。

ルント シャイ インタン トラム バプ 冬の枝 ハニー はしかみ スタッ ロルプロ トザウルス マリオ ロール ライカ カースト 花月 フェンシ モリブデン マジック おんかま シッキ サンドバ ニング ワラント サウスポー ミール きんしゃ ブランチ プロジ タッグ れんおん シルク チャカレ ヒュンダ くわのじつ ストラ 空を見 シャー リチャ 黄砂 オープン オリンズ ジブチ わどまり あずきいろ パリティ ビーフン コクト ひしがた バカラ

2009年03月23日

軌道法

軌道法(きどうほう、大正10年4月14日法律第76号)は、一般公衆(公共)の運輸事業を目的とする道路に敷設される鉄道に適用される日本の法律である。1921年(大正10年)4月14日公布、1924年(大正13年)1月1日施行。
マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

軌道条例に代わって制定された。一般公衆用ではなく道路に敷設される鉄道はすべて国土交通省令による(第1条第2項)。元来は主として路面電車を対象としてきたが、近年ではモノレール、新交通システム等に適用例がある。また大阪市営地下鉄の大半も軌道法が適用されている。最近の改正は、2000年(平成12年)5月31日。

軌道法では、道路に敷設された部分を「併用軌道」、道路以外の専用敷地に敷設された部分を「新設軌道」(しんせつきどう)、本法第1条第2項により敷設された鉄道を「専用軌道」という。

鉄道事業法上の鉄道事業者に相当するものを「軌道会社」又は「軌道経営者」と呼称する。


概説 [編集]
第1条、第2条で軌道法の適用される鉄道の範囲について規定している。それによれば、軌道とは原則として道路に敷設される鉄道であるとされ、そのうち一般公衆(公共)の運輸営業を目的とする場合に軌道法が適用されるとしている。なお、第1条第2項の一般交通に用せざる軌道とは事業者が事業者自身の為に輸送をする軌道、すなわち、専用軌道のことであり、専用軌道規則が適用される。(詳しくは「専用軌道」を参照)

第3条では一般公衆の運輸を営むことを目的とする軌道事業は特許を受けなければならないとされている。鉄道事業法による「鉄道」事業については、「特許」ではなく「許可」である(後述)が、実際上はほぼ同一のものである。

第4条で、軌道事業に要する道路の占用は特許された時点で道路管理者の許可又は承認を受けたものとみなされるとされている。しかし実際には、軌道の特許に際し軌道を敷設しようとする道路の道路管理者の意見が確認されるので、道路管理者の意向を無視して特許されるわけではない。これは第6条の軌道敷設工事認可申請についても同じである。また、道路の占有料に関する政令は現在に至るまで制定されていないので、無料のままである。しかし、併用軌道では第12条で規定される範囲について道路の維持、修繕を負担することとなっており、これが実際上の占有料となる。

第5条から第27条は軌道事業の実施、廃止に当たっての手続事項、事業者履行事項および監督事項が規定されている。軌道の敷設、竣功についてはそれぞれ第5条、第7条で期限内に完了させることが定められており、第23条で期限内に工事施行認可申請、竣功ができなかった場合は特許が失効するとされている。ただし、この期限についてはやむを得ざる事情のある時は延期が認可されることとなっている。なお、軌道の建設、営業開始にあたっての手続については軌道法施行令に、そのとき提出が必要となる書類およびその記載内容については軌道法施行規則に詳細が決められている。また、譲渡等における提出書類についても軌道法施行規則に定められている。一方、軌道事業に当たっての技術的適合の基準は線路、車両、保安に関しては軌道建設規程、運転に関しては軌道運転規則にそれぞれ定められている。一方、運輸営業に当たっての規則(JR各社の旅客営業規則に相当する)に関しては軌道運輸規程に定めがある。一方、軌道事業中運輸事業に携わる人員に関する規定として軌道係員規程があるが、鉄道係員職制を準用するとし、他に定めてあるのは制服の着用義務だけである。

併用軌道における道路の維持、補修に関しての分担は第12条で規定され、軌条間とその両側61cmを分担するものとされている。

第9条に定めのある、道路管理者が道路の新設、改築に必要と認めれば、軌道経営者の専用軌道敷地を無償提供させることができるとされることについては、日本国憲法第29条第3項に違反している可能性もあるが、それにもかかわらずこの条文は削除されていない(もちろん、この条文を適用して事業を実施することは、訴訟の提起、違憲判決等のリスクを考慮すれば実質的には不可能といえる。)。

※日本国憲法第29条第3項:私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
なお軌道係員規程の罰則条項については、日本国憲法第73条第6号に反するため事実上失効している。詳細は鉄道営業法を参照のこと。

※日本国憲法第73条:六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
第28条から第30条は罰則規定である。

第31条は軌道法を適用する軌道に準ずるものを規定しており、昭和二十二年運輸、内務省令第二号が該当する政令であり無軌条電車が該当するものとして定められている。

下位法令 [編集]
専用軌道規則
軌道法施行令
軌道法施行規則
軌道建設規程
軌道運転規則
軌道運輸規程
軌道係員規程
軌道運賃料金割引等規則
軌道法に規定する国土交通大臣の権限に属する事務で都道府県が処理するもの等を定める政令

「鉄道」との違い [編集]
鉄道の基本となる部分では、鉄道事業法による鉄道と軌道法による軌道との間に相違はない。しかしながら、専用の通行空間を持つ鉄道と、一般道路交通と通行空間を共用する軌道との間にはかなりの相違があるのも事実である。但し、現在多く見られるようになった専用の通行空間を持つ軌道については鉄道との相違がほとんど無い場合が多い。それはさておき、具体的には以下のような違いがある。

許認可 [編集]
鉄道事業は許可であり、廃止は届出であるが、軌道事業は特許であり、廃止は許可である。

敷設 [編集]
軌道法が「軌道ハ、特別ノ事由アル場合ヲ除クノ他之ヲ道路ニ敷設スヘシ」(第2条)と規定し、鉄道事業法が鉄道の道路への敷設を原則として禁じている(同法第61条)ことから、鉄道と軌道とは、道路への敷設の可否により区別されているはずである。

ところが、軌道法第2条但書、鉄道事業法第61条但書により、国土交通大臣の許可を受ければ軌道は道路以外に、鉄道は道路に敷設が可能であることから、軌道では大部分が新設軌道である東京都交通局(都電荒川線)や京福電鉄嵐山本線、全線新設軌道である大阪市営地下鉄や東京急行電鉄(世田谷線)がある一方で、鉄道ではほぼ全線が道路の地下に敷設されている東京地下鉄各線や、一部に(江ノ島?腰越)道路併用区間を有する江ノ島電鉄とが存在している。このように現在では道路への敷設の可否では、その適用区分は必ずしも明確ではなくっている。

また関西圏における南海電気鉄道以外の大手私鉄の多くの路線、それに能勢電鉄は軌道法準拠で開業しており、その多くは1970年代後半まで軌道線とされていた。その他、名古屋鉄道豊川線は建設の歴史的経緯から今でも軌道法準拠であるが、実態としては完全に他路線と同規格の鉄道である。

現在においては、道路に敷設するか否かではなく、鉄道建設に際しもっとも費用のかかるインフラストラクチャ部分の資金調達をどうするかで軌道と鉄道の申請の区分がなされることが多い。例えば1970年代以降のいわゆる都市モノレール・新交通システム(AGT)の建設に際して道路整備とセットで事業を実施することにより、潤沢な道路関係の補助金を利用して鉄道のインフラストラクチャ部分を整備することが行われている。この場合、当然のことだが道路計画に含まれない区間は鉄道として建設される。これがモノレールや新交通で鉄道と軌道がコマ切れに存在する理由となっている。

一方、そのほとんどが道路下に敷設される地下鉄で鉄道事業法(旧地方鉄道法)事業が多いのは、計画が1975年(昭和50年)以前である場合が多く、都市モノレールで使われた資金スキームが整備されていなかったこと、鉄道事業としての地下鉄建設に補助制度があることが、鉄道事業が多い要因である。

大阪市の事例については、上記とは若干事情が異なり、現在ほど道路財源が潤沢でないなか、大阪市が道路整備を行うと同時に地下鉄を建設することで、一般財源からの補助が可能となるからである。当時は、現在では比較にならないほど鉄道事業からの収益性が高いためこのような処置が取られたものである。大阪市においては、地下鉄事業が開始される前の路面電車においても同様の電車収益金による道路の整備が行われていた。

なお、「駅」は軌道法上では「停留場」と表される。

運行 [編集]
軌道運輸規程では速度計の設置が義務ではなく、またブレーキの規定も極端な話が手ブレーキ車両ですらよいことになっている。2006年6月に起きた都電荒川線の追突事故では軌道法による安全に関する規定が大きな議論を呼んだ。

沿革 [編集]
日本において鉄道と軌道が法的に別個に扱われるようになった歴史は古く、軌道法の前身法である軌道条例の発布よりも早く、1874年(明治7年)まで遡ることができる。1873年(明治6年)東京の芝金杉橋-上野間に馬車鉄道の計画が提出された。この馬車鉄道は開業することはなかったが、この計画に対し1874年(明治7年)に「馬車轍路規則」が定められ、これが日本における最古の軌道に関する適用規則である。この後、軌道の出願は1880年(明治13年)東京市街馬車鉄道(東京馬車鉄道)の出願に至るまでなく、法整備は行われない状態であった。本出願に対し、政府ならびに東京府は個別に対応することとし、東京府は「馬車鉄路築造并営業ヲ認許スルニ付命令書」で軌道の監督を実施する。

1887年(明治20年)頃には馬車鉄道の出願が増えてきたこと、また、軌道に関する命令書の作成は各地方庁(府県庁)で行われていたため、地域毎に取り扱い等に差が出ることなどから法整備を実施することとし、1890年(明治23年)軌道条例を発布する。経緯から分かるように、軌道条例は馬車鉄道への適用を主眼として制定されており、かつ、命令書により実質的な軌道監督をするという形式で、軌道条例自体はわずか3条からなる法律であった。また、地方庁が手続事務を行っていることから明らかなように内務省が軌道の監督官庁となっている。黎明期の電気鉄道は、当時の鉄道監督法が私設鉄道条例であり都市内、都市近郊の鉄道に適用するのは不適切であることから、軌道条例で特許、敷設されている。軌道条例はこれらの実態に合わせ二度改正されているが、最終状態でも5条からなるものでしかなかった。

軌道法への改正は、軌道条例では付帯訓令により定められていた事項を法律へ反映したものである。よって、軌道法の内容は本質的には従前の軌道条例で行われていた監督内容と変わりがない。なお、軌道の監督については1908年(明治41年)度より内閣鉄道院との共轄となっており、この体制は両監督官庁の変遷にもかかわらず、国土交通省として合併するまで続けられた。 国土交通省の誕生後、ライトレールが大変な脚光を浴びていることもあり、時代に即した内容への改正論議が高まっている。

黎明期の電気鉄道は軌道条例で特許され、低速走行のみが許可されていた。アメリカで普及した、新設軌道による高速鉄道インターアーバンの概念を日本に持ちこもうとした摂津電気鉄道(後の阪神電気鉄道)は軌道条例で特許を得て、当初は一部のみを併用軌道として敷設したことが知られている。京浜急行電鉄、京成電鉄、京王電鉄、京阪電気鉄道、熊本電気鉄道などの私鉄も当初は軌道条例または軌道法で特許され、後に併用軌道区間を廃止し、戦後の鉄道行政の簡素化にあわせて鉄道線へと変更した路線である。軽便鉄道法が発布されてから電気鉄道も当初から鉄道として認可を受けて敷設されるようになった。

臨海地区に建設された神戸新交通やゆりかもめ、ニュートラムなどの新交通システムは、旧建設省管轄の道路上に敷設されているか、旧運輸省管轄の港湾施設に属する「港湾道路」に施設されているかによって、区間ごとに軌道と鉄道を区分している。

このいわゆる新交通システムにおいては、軌道特許による建設において旧建設省令などの措置により補助金を交付される場合が多かったこと、また建設に関する許可(特許)を得るための優位性などのいわゆる「方便」として軌道特許による路線開設が行われた事例が多い。

免許・資格 [編集]
動力車操縦者免許

2009年03月08日

英蘭抗争の終結

第3次英蘭戦争(1672年 - 1674年)はフランスの始めたオランダ戦争(1672年 - 1678年)にイングランドが協力する形で始まった。1673年、イングランドとフランスは大艦隊を組織してオランダを襲ったが、オランダの名提督デ・ロイテルに撃退された。こののちオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(のちのイングランド王ウィリアム3世)はオーストリア・スペインと同盟を結んでフランスを包囲、フランス軍を撤退させた。戦局ふるわず、財政危機に陥ったフランスは、1675年に多額の戦争資金を募り、スウェーデン=バルト帝国の参戦を促した。しかしスウェーデンのドイツ侵攻はドイツ諸侯の反感を買い、その最前線にあったブランデンブルク選帝侯はオランダと同盟を結んで対抗した。ブランデンブルク=プロイセンの興隆は、のちの英仏の両国関係にも大きく影響を及ぼすこととなる。

さらに、イングランド議会では、オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる、という声が高まり、チャールズ2世に親仏路線の撤回を求めた。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)の娘メアリ(のちのメアリ2世)をウィレムに嫁がせて同盟を結んだ。

絶対王政と議会王政
フランス絶対王政の成立
30年余におよぶユグノー戦争(1562年 - 1598年)はフランス国内を荒廃させたが、アンリ4世(在位:1589年 - 1610年)が即位してブルボン朝が始まり、1598年にナントの勅令を発布して国内の宗教対立に終止符を打った。これによりフランス絶対王政の基礎がつくられる。1604年にはフランス東インド会社が設立され、1608年にはケベック市が建設されてカナダ植民の拠点となった。

次のルイ13世(在位:1610年 - 1643年)は三十年戦争に介入、フランスは旧教国でありながら新教側に立って参戦した。この戦争は、ドイツの荒廃、主権国家体制の成立、神聖ローマ帝国の有名無実化、そしてオランダ・スイスの独立を招いた戦争であったが、ブルボン家にとっては宿敵であったオーストリア・スペイン両ハプスブルク家に対して優位性を獲得した戦争でもあった。なお、1642年にはカナダにモントリオール市が建設されている。

フランス王ルイ14世フランス最後の貴族の反乱となったフロンドの乱(1648年 - 1653年)が平定されたのちの1661年には、太陽王ルイ14世(在位:1643年 - 1715年)の親政が始まり、同年ヴェルサイユ宮殿の造営も開始している。

「朕は国家なり」の言葉で知られるルイ14世は、「領土の拡大は最も気持ちの良い仕事である」と豪語して自然国境説にもとづき、たび重なる侵略戦争をおこなった。南ネーデルラント継承戦争(1667年 - 1668年)、オランダ戦争(オランダ侵略戦争、1672年 - 1678年)そして第2次百年戦争の皮切りとされるプファルツ継承戦争である。いっぽう東洋進出においても、コルベールが1664年東インド会社を再組織して本格化し、インドではシャンデルナゴル(1673年)やポンディシェリ(1674年)を根拠地としてイングランドに対抗しようとした。また、北米では1682年にミシシッピ川流域一帯のフランス領ルイジアナへの植民が始まった。「ルイジアナ」の地名は、太陽王の名にちなんでフランス人ラ・サールによって命名されたものである。
リティ ハーフタイ ラサSEO ナビみさわ プローブ いきな オストミー ゼロワン フェイ ユータ メイス ドッグレ オール のんき フィジー ソニア ジューサ トハギ コート ナーグプ ちょくん ロイヤ フラック カスタマー ポンチ 影ふみ ニップル ハンブル 時代屋 ドッキン オンフ タウン むほん ブロード ジルサン パレタイ セリュ すぺあ トレッド ディベー ディーズ フラワー レジャ フォーマ シランレン メゾン お手玉 デモクラシ 竹てっぽ ダボス

イギリス議会王政の成立
イングランド王ウィリアム3世王政復古ののちもチャールズ2世はカトリック官僚を採用するなど旧教の復活を企図し、極端な反動政治を行ったため、議会は審査律(1673年)や人身保護律(1679年)を発してそれを牽制した。さらに次のジェームズ2世(在位:1685年 - 1688年)も同様の専制政治をおこなったため、ついに議会は1688年王を廃位し、プロテスタントの熱心な信者でチャールズ1世の外孫にあたるオランダ総督ウィレム3世(ウィリアム3世)とメアリ(メアリ2世)の夫婦をむかえて「権利の宣言」を認めさせた。この政変は、流血の惨事なくおこなわれたことから名誉革命と呼ばれている。ウィリアムとメアリは翌年権利の宣言を「権利章典」として発布し、イングランドはこれを機会に立憲君主国へと変貌を遂げた。

1688年、ルイ14世がドイツのプファルツ選帝侯国に対し、王弟オルレアン公の妃の継承権を主張して戦争をおこした(ファルツ継承戦争)。これに対抗してイングランド、スペイン、オランダ、オーストリアはアウグスブルク同盟を結んでフランスのプファルツ継承を阻止した。第2次百年戦争では時のイングランド王ウィリアム3世にちなんでウィリアム王戦争とも呼んでいる。

2009年02月19日

グリマルディ戦線

C.E.70年5月3日、ザフトは地球連合軍の月面プトレマイオス基地を目標に侵攻を開始し、月の裏側にあるローレンツ・クレーターに橋頭堡となる基地の建設を開始した。その結果、両軍はグリマルディ・クレーターを境界に月を二分し、以後小競り合いを繰り返す。このことから月の最前線はグリマルディ戦線と呼ばれるようになった。
ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

C.E.70年6月2日、エンデュミオン・クレーターの防衛線で地球連合軍の第3艦隊は壊滅し、施設破壊のため、レアメタルの混ざった氷を融解するために設置していたサイクロプスを暴走させ、ザフトを撃破する。この際、巻き込まれた友軍にも多数の被害が出た。ザフトはこの敗退によりグリマルディ戦線を放棄し月から撤退し、月は地球軍の勢力下におかれる事になった。

この戦闘でメビウス・ゼロ部隊に所属しジン5機を撃破、さらにサイクロプスの暴走からも逃れ同部隊唯一の生還者となったムウ・ラ・フラガは「エンデュミオンの鷹」と呼ばれ喧伝される。実際は地球軍上層部がエンデュミオン・クレーターでの真相を隠匿するためと、戦意高揚のために行ったプロパガンダである。その後ムウは口封じのため後方に追いやられ、ヘリオポリスへのG兵器テストパイロットの護衛任務などに回される。同様に生還したジェラード・ガルシアもアルテミスへ左遷されられた。また、この戦闘でムウはジンハイマニューバで出撃したラウ・ル・クルーゼと運命的な再会をしている。

第一次カサブランカ沖海戦
C.E.70年5月2日、地球連合軍(ユーラシア連邦主力)の地中海艦隊とザフトのボズゴロフ級からなる潜水空母艦隊が衝突。この戦いで、水中用MSグーンが実戦初投入された。

この戦いに勝利したザフトは地中海へ侵入。アフリカ北岸より侵攻開始。また、ジブラルタル基地建設を開始する。

スエズ攻防戦
C.E.70年5月30日、戦場となったエル・アラメインにて、地球連合軍とザフト地上部隊の攻防。別名エル・アラメイン会戦。

ザフトは、ザウートを中心とした戦力を地中海沿岸より上陸。そこで待ち構えていたモーガン・シュバリエ大尉が所属するユーラシア連邦の大戦車軍団と交戦。シュバリエ大尉はリニアガン・タンクの圧倒的物量と機動性を活かしザウート部隊を奔走し後一歩で勝利というところまで追い詰めたが、アンドリュー・バルトフェルドの奇策と、陸戦用MSバクゥの活躍により大敗。

以後、ザフトはアフリカ北岸からはビクトリア宇宙港へと南下を開始(「アフリカ戦線」)。

新星攻防戦
C.E.70年6月14日、L4の地球連合東アジア共和国領の資源衛星「新星」にザフトが侵攻、迎え撃つ地球連合軍との間で7月12日まで攻防戦が行われた。

双方とも決定打のないまま小競り合いが1ヶ月近く続き、結局防衛を断念した地球連合軍側が新星を放棄する。この間L4のコロニー群も多数被害を受けている。

ザフトはこの衛星を自軍の防衛用軍事衛星として改装しつつL5まで移送することを決定。この新星の移送中、地球軍は何度かの奪還を試みザフトの護衛艦隊と交戦するもいずれも失敗。

L5への移送後、新星はボアズと改められた。

ヘリオポリス崩壊(ザフトによる地球軍のG兵器強奪事件)
C.E.71年1月25日、地球連合軍が極秘裏に開発していたG兵器(初期GAT-Xシリーズ)を奪取するべく、ザフトのクルーゼ隊がオーブの資源コロニー「ヘリオポリス」を襲撃。開発されていた5機のうちストライクを除く4機(イージス、デュエル、バスター、ブリッツ)が強奪され、さらにクルーゼ隊の攻撃やストライクの抗戦などによりヘリオポリスが崩壊した事件。

さらに事件の裏ではオーブ政府が極秘裏に開発した自国防衛用MSの試作品ガンダムアストレイ「P02レッドフレーム」と「P03ブルーフレーム」がジャンク屋と傭兵に発見されている。P01ゴールドフレームはパイロット共にオーブ政府に回収されている。

低軌道会戦
地球に降下しようとするアークエンジェルを援護する地球連合軍第8艦隊(旗艦:メネラオス)と、ザフトのクルーゼ隊が交戦した戦い。

C.E.71年2月13日、アークエンジェルを追撃してきたクルーゼ隊はアークエンジェルが地球に降下する前に撃破すべく戦闘を仕掛け、アークエンジェルを援護する第8艦隊と交戦状態となる。

艦船総数など、物量では圧倒的に第8艦隊が上回っていたが、ザフトのMSの前になす術も無く壊滅、特にヘリオポリスで強奪されたデュエル、バスター、イージス、ブリッツはそのこれまでのMSを遥かに上回る性能を見せ付ける結果になった。

この戦いで、第8艦隊司令官のデュエイン・ハルバートン提督は戦死。アークエンジェルは辛うじて大気圏突入に成功するものの、降下ポイントは当初予定していたアラスカから大きく外れ、ザフト勢力圏内である北アフリカに降下してしまう。

第二次ビクトリア攻防戦
プラント最高評議会のオペレーション・ウロボロスの見直しの圧力を受けて、アフリカ戦線が強化。 C.E.71年2月13日にビクトリア宇宙港は陥落。翌日、プラントにて行われた血のバレンタイン追悼式典に花を添えることとなる。ザフトの兵士は基地陥落時に投降した地球軍兵捕虜を整列させ銃殺していた。

同日、クルーゼ隊の追撃を振り切ったアークエンジェルがザフト勢力圏内のアフリカ共同体のリビア砂漠に降下。

マラッカ海峡突破戦
C.E.71年3月15日、アークエンジェルはマラッカ海峡に到達。待ち受けていたザフトの部隊と交戦。ザラ隊は潜水母艦の故障により戦闘に間に合わず、アークエンジェルは致命的損害は受けずに済むが、多数被弾。

オペレーション・スピットブレイク
戦争に終止符を打つべくプラント最高評議会において可決された作戦。宇宙から大規模な攻撃部隊を地上の地球連合軍側の拠点に降下させ拠点を制圧するという強襲作戦だった。

この作戦の前にプラントは地球と宇宙の行き来を可能とするマスドライバーを持つ地上拠点のほとんどを掌握しており、地球連合軍のもとに残されていた宇宙港はパナマ基地だけとなっていた。このため、その最後の宇宙港を奪取することで地球連合軍の宇宙と地上の戦力を分断し、地球連合軍を地上に封じ込めることが可能になるとして、パナマ基地攻略を目標としてオペレーション・スピットブレイクは立案、可決された。

しかしパナマ基地の攻略という計画は表向きのもので、実際には地球連合軍最高司令部が存在するアラスカ(JOSH-A)を強襲することが真の目的であった。こうした「オペレーション・スピットブレイクの真の目標」については作戦に参加するザフト兵はおろか作戦を可決した評議会議員の多くも知らず、パトリック・ザラら評議会議員の一握りの者が知るのみだった。

オペレーション・スピットブレイクがコズミック・イラ71年5月5日に発動されると、同時に全軍に対し攻撃目標の変更が通達され、パナマ攻撃のために集結していた部隊はその進路をアラスカ JOSH-Aへと変更した。ザフトはこの作戦に地上部隊の大半を注ぎ込み、アラスカ基地の防衛線を次々と突破して中心部へと迫った。しかしスピットブレイクの真の目標は事前にラウ・ル・クルーゼがムルタ・アズラエルを通じる形で地球連合軍上層部にリークしており、連合軍側はアラスカ基地の地下に大量破壊兵器「サイクロプス」を設置、侵攻してきたザフトが基地の中枢に迫ったところで起動させザフトの攻撃部隊の8割を消滅させた。

この時、地球連合軍上層部は密かにアラスカを脱出しており、基地に残っていたユーラシア連邦を主力とする防衛部隊(一部にはアークエンジェルの様に大西洋連邦所属部隊でありながら不必要な邪魔者として切り捨てられた部隊もいた)には事情は知らされていなかった。このサイクロプスによって地球連合軍の防衛部隊ともどもザフトは地上における戦力の大半を失った。

この戦力喪失により、ザフトは地上で戦線を維持することが難しくなり、以後は地球連合軍によるプラント本国攻撃にそなえ宇宙戦力の増強に力を入れることになる。

またユーラシア連邦のアラスカ防衛部隊も壊滅したことから、ユーラシア連邦は連合内での発言力を喪失。以後地球連合軍は大西洋連邦(そしてその背後にいるブルーコスモス)が更なる主導権を得ていく。

フリーダム強奪事件
オペレーション・スピットブレイク発動直後にプラント内で起こった事件。ザフトが極秘裏に建造していたニュートロンジャマーキャンセラー搭載MSフリーダムが何者かに強奪され、その後ラクス・クラインが手引きをしたと判明。ニュートロンジャマーキャンセラーの情報が外部に漏れると戦局が変わることにより、パトリック・ザラを中心とするザラ派によりラクス・クラインとその父で最高評議会議員のシーゲル・クラインが国家反逆罪として指名手配され、クライン派の議員及び関係者は弾圧・束縛された。これにより議会はザラ派によって占められることとなった。また、本国に帰還したアスラン・ザラに同時開発のジャスティスを授与し、フリーダムの奪還または破壊、パイロット及び接触者の排除(殺害)、接触した施設等の破壊を命じた。

パナマ攻略戦
オペレーション・スピットブレイクでの戦力喪失の結果、逆に宇宙の本国を地球連合軍に突かれる恐れの生じたザフトは、地球軍を地上に封じ込めるため地球軍側に唯一残されたパナマ基地のマスドライバー施設「ボルタ・パナマ」の破壊を目標とした作戦を立案、発動させた(C.E71 5月25日)。この作戦のためザフトは、アフリカ戦線を縮小。ジブラルタル基地より兵力を大量投入している。

作戦開始直後はザフト有利の戦況であったが、この戦闘で地球連合軍初の量産型MSストライクダガーを擁する第13独立部隊及びロングダガーが実戦投入され、武装・物量でザフトのMSを凌駕していたことと、ザフト兵が対MS戦闘に慣れていなかったことにより戦局は地球軍に傾く。
しかしザフトは軌道上から電磁パルス発振兵器であるグングニールを降下 起動させたことにより、グングニールの放つ電磁パルス(EMP)が引き起こしたサージ電流により地球連合軍のMSや戦闘機と言った攻撃兵器やパナマ基地などの電子機器は壊滅、その機能を失い、超伝導体であるマスドライバーの基線も破壊された。
なお、ザフトのMS部隊はあらかじめグングニール用のEMP対策を施しており、グングニールの影響を受けずに済んでいる。これによりザフトはマスドライバー破壊という目標を達成した。

しかし、この作戦終了後にザフト兵士はアラスカの報復と言わんばかりに条約を完全に無視した無抵抗の地球連合軍兵士への私刑的行為を執行。MSの機銃による非道な虐殺が行われ、その光景は凄惨有り余るものであった。

この作戦により地球連合は保有するマスドライバーの全てを失い、宇宙へ軍を大規模に送ることが不可能となった。そのためこの状況を打開するべく、マスドライバーを保有する中立国 オーブ連合首長国に対し戦争協力の圧力を強めると同時に、ビクトリア基地奪還に力を傾注していくことになる。

オーブ解放作戦
この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。

C.E.71年6月15日、地球連合軍が後期GAT-Xシリーズ(カラミティ、フォビドゥン、レイダー)のテストとマスドライバー施設の接収を兼ねて、中立国のオーブ連合首長国に侵攻した作戦。作戦はビクトリア奪還作戦と並行して行われ実質的な総指揮官は、地球連合の首脳会議でオーブへの攻撃を示唆したブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエルである。

6月13日にオーブはオーブ所有のマスドライバー施設カグヤの貸与を要求されたが、通告から48時間後にこれを拒否する回答を行ったため戦闘となる。地球軍は前述の3機とストライクダガーを投入し攻撃を仕掛けるが、オーブ軍はM1アストレイを投じ防戦。モルゲンレーテ社に匿れていたアークエンジェルも加わるものの、物量で圧倒的に勝る地球軍に抗し切る事はできず、侵攻開始の翌日にオーブは陥落する事となる。

敗北を悟ったオーブ連合首長国前代表 ウズミ・ナラ・アスハは、アークエンジェルと娘のカガリ・ユラ・アスハを搭乗させたクサナギをマスドライバーを用いて宇宙に上げた後、地球連合が狙っていたマスドライバーとモルゲンレーテ社の施設を爆破。これに伴い自らも他の五大氏族首長らと運命を共にし自決した。

この作戦の終了後オーブは、戦後地球連合-プラント間で結ばれるユニウス条約が発効するまで大西洋連邦の監視下に置かれることとなった。

この作戦については、オーブ連合首長国の項にも詳細な記述があるので、そちらも参照。

第三次ビクトリア攻防戦
C.E.71年6月18日、ユーラシア連邦を主力とした地球連合軍がザフト占領下のビクトリア宇宙港の奪還を目的とした戦闘。

ストライクダガーの大量投入と、アラスカ戦以降のザフト地上部隊の弱体化で戦況は地球軍が有利に。基地は1週間後の6月25日に陥落。自爆装置が仕掛けられるも寸前で特殊部隊の突入により阻止。地球軍はビクトリア基地を奪還し、以後ビクトリア基地は地球軍の主力宇宙港となった。

また、この戦いでエドワード・ハレルソンがソードカラミティで出撃。多大な戦果をあげ、”切り裂きエド”の二つ名は決定打となった。この時エドワード・ハレルソンを指揮していたのはオーブのロンド・ギナ・サハクであった。彼はムルタ・アズラエルとオーブのマスドライバーを見逃す代わりにビクトリア基地奪還を手伝う契約を交わしたがオーブのマスドライバーは地球連合軍との交戦の末、ウズミ・ナラ・アスハ前代表の手によって破壊されてしまった。他にもいくつかのダガーのバリエーション機が投入され、実戦評価が行われた。

ビクトリア基地宇宙港陥落に伴い、オペレーション・ウロボロスは完全に失敗・頓挫し、プラント最高評議会は翌26日、宇宙戦力の増強を決議。

なお、地球連合軍の兵士がパナマの報復かどうかは不明だが、瀕死のMSパイロットの射殺を行っていた。

2009年02月03日

大久保氏(おおくぼし)は日本の氏族

関東の豪族・宇都宮氏の庶流である武茂氏からの分流で、南北朝の争乱の際に武茂時景の子の武茂泰藤が三河国に移住したのがはじまりで、その子孫が松平氏に仕えたとされるが真相は不明である。当初は宇都宮氏にあやかり宇津氏と名乗っていたが、大久保忠茂又は大久保忠俊の代に大久保(大窪)姓を称した。
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

『柳営秘鑑』の中では、安祥松平家(松平宗家・徳川家)安祥城居城時代からの最古参の安祥譜代7家の1つに挙げられてる。

徳川家康の配下として活躍したのは忠茂の孫で、大久保忠員の子である大久保忠世、忠佐の兄弟が主要な合戦で武功を挙げている。

江戸幕府草創期
忠世の子・大久保忠隣は徳川秀忠付けとなり、やがて老中に抜擢されるほど重用される。だが、次第に本多正信と正純の親子との権力抗争に発展してしまう。

1613年、本多親子は忠隣の家臣・大久保長安の横領行為(大久保長安事件)を家康に密告した。これにより家康は、長安の墓を掘り起こさせて遺体を磔にし、その上、長安の遺族さえも処刑させた。

長安の庇護者であった忠隣へも類は及び、改易処分となる。身柄は井伊直孝に預けられ、近江国栗太郡中村へ配流された。跡目に期待していた長子・忠常を失って以来、失意の底にあった忠隣は赦免される事なく、その地で没している。

忠隣の2男以下も処分対象であったが、蟄居処分で済んでいる。

御赦免
政敵・本多親子の失脚から3年が経っていた1625年、忠隣の孫・忠職の代になって、ようやく赦免された。当時22歳の忠職は、母方の従兄弟・松平忠隆の死去に伴い、美濃国加納藩の新たな藩主となって大久保家嫡流(大久保加賀守家)を再興させた。

実子に次々と早世された忠職の跡を継いだ大久保忠朝の代から再び、相模国小田原藩に封された。相模守忠隣の改易から、実に70年余の歳月が流れている。その後も小田原藩の統治が続き、明治維新を迎える事ができた。1869年の版籍奉還後、小田原藩の10代藩主・大久保忠良は、そのまま藩知事となった。しかし1871年、廃藩置県の施行によって小田原藩は解体。忠良も罷免された。

傍系
戦国期の忠世・忠佐兄弟には他にも、『天下の御意見番』の異名で呼ばれる忠教という著名な弟がいた。兄・忠佐からの跡目相続要請を固辞して、旗本で生涯を終えている。

彦左衛門の系統以外に、忠為の系統も存在する。忠為の直系孫・常春は下野国烏山藩を起こした上に、老中に抜擢された。

忠為の4男・忠舊は紀州藩士となっていたが、孫娘・深徳院は9代将軍・徳川家重の生母となっている。そのため深徳院の弟たちは幕臣に召し出された。

なお、幕末・明治期の政治家大久保一翁(忠寛)も三河大久保氏の一族である。

三河大久保氏系図
凡例  太線は実子、細線は養子。
    数字は三河大久保氏 歴代当主(安土桃山時代以降) 太字は老中歴任者

忠茂
┣━━━┓
忠俊  忠員
┃   ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓
忠勝  忠世1      忠佐      忠為              忠教
     ┃       ┃       ┣━━━┓           ┃
    忠隣2      忠兼      忠知  忠舊          忠名
    ┣━━━┳━━━┓       ┃   |           ┃
    忠常 石川忠総 教隆      忠高  忠直          忠直
     ┃       ┣━━━┓   ┃   ┣━━━┳━━━┓   ┃
    忠職3      教勝  忠朝  常春  深徳院  忠寛  往忠  忠備
     |               ┃       |       ┃
    忠朝4              忠胤      往忠      忠恒
     ┣━━━━━━━┳━━━┓   ┣━━━┓   |
    忠増5      教寛 宇津教信 忠卿  忠喜  忠翰
     ┣━━━┓   ┣━━━┓       |
    忠方6 石川総陽 教端  教平      忠成
     ┃       ┃   ┃       ┃
    忠興7      教起  教近      忠保
     ┃       ┃   ┃   ┏━━━┫
    忠由8      教倫  教翅  忠寿  忠美
     ┃           ┃       ┃
    忠顕9          教孝      忠順
     ┃       ┏━━━┫
    忠真10     教業  教義
     ┃           ┃
    忠修          忠良
     ┃
    忠愨11
     |
    忠礼12
     |
    忠良13

その他の大久保氏
薩摩国出身の大久保利通の一族がいる。薩摩藩士の大久保家は藤原姓とされるが定かではない。「甲東逸話」では一説、源姓畠山氏の一族で戦国時代に京都から薩摩に移るという。また、寛文年間の「諸家大概」にその系図を偽者扱いされている大窪源太左衛門という人物が源姓畠山氏を称しているが、この人物と当大久保家との関係は不明。貞享年間に市来郷川上に下り、後年に鹿児島城下に戻るという。彼の一族については大久保利通を参照。

利通系薩摩大久保氏系図
利敬

利世

利通
┣━━━┳━━━┳━━━┓
利和 牧野伸顕 利武  利賢 
     ┃   ┃   ┃
    伸通   利謙  利春 

また新撰組の近藤勇は晩年「大久保大和」と名乗っている。

2009年01月20日

吹奏楽の歴史は、古代エジプトにまでさかのぼる

吹奏楽の歴史は、古代エジプトにまでさかのぼる。ラッパと太鼓類を主に、行進を伴奏する情景が当時の壁画に残されている。古代ローマ時代には編成を増し、中世の軍楽の基礎をつくった。中世になると楽器も発達し、種類・数量も増えて行く。オスマン帝国の侵攻に伴うトルコ軍楽との接触は西ヨーロッパの吹奏楽隊の拡張に貢献した。より多くのクラリネット、ピッコロが次第に加えられて行き、金管楽器が更に発達し、打楽器の素晴らしさ、そして劇的な効果が、大太鼓やシンバル、トライアングル等の打楽器セクションの拡張を促した。17世紀にはドイツ、フランスなどで盛んとなり、芸術音楽にも多大な影響を与えはじめた。現在 行進曲として演奏されるレパートリーが出現するのもこのころからである。1810年代には吹奏楽隊は使用する楽器が国により様々に異なって来るが、既に現在とほぼ変わらない規模に達してもいた。ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの作品にも行進曲や軍楽用の作品がみられる。

楽器の発達により複雑な演奏が可能となってくると、軍楽も単に士気の鼓舞だけの用途でなくなり、多くの種類の音楽も演奏できるようになったが、その音量が大きいこと、移動して演奏するのに便利なことなどから、野外演奏が主であった。その後演奏会場が大きくなったため、管弦楽と同じような演奏効果があげられるようになり、吹奏楽として一つの演奏分野が認められるようになった。ヨーロッパでは新しい分野の吹奏楽は一般的には取り上げられず、軍楽隊にだけその伝統が受け継がれている。アメリカ合衆国では新しい文化の建設のため、吹奏楽は積極的に取り上げられ、学校教育・社会教育に活用され、民間に広まった。クラリネットが中心の現行の編成が作られたのは、アメリカ合衆国ミシガン大学のウィリアム・レヴェッリ(1902年 - 1994年)による。1929年にはABA(アメリカ・バンドマスターズ・アソシエーション)がエドウィン・フランコ・ゴールドマンによって設立され、アメリカ合衆国の吹奏楽の発展と、世界の吹奏楽界の交流がはじめられた。

吹奏楽曲
18世紀末にはゴセックや、カテルが数曲の序曲を作曲しており、19世紀に入ってからはベートーベンがエコセーズや行進曲を、メンデルスゾーンは序曲や葬送行進曲を、ベルリオーズ、マイアーベーア、ワーグナー、サン=サーンスらも吹奏楽曲を作曲している。

20世紀に入ってからはアメリカ合衆国、イギリスを中心に多くの作品が発表され、代表的なものではホルスト、グレインジャー、ヴォーン・ウィリアムス、シュミットらをはじめとして、多くの作曲家が吹奏楽曲を発表した。現在ではほとんどの作曲家がいくつかの吹奏楽曲を発表している。

また、下に示されるようなコンサートバンド・ウインドオーケストラ編成によらない、大規模の管楽アンサンブルと呼んだほうがよい曲も吹奏楽曲として扱い、吹奏楽団が演奏・録音することがある。ジョゼフ・シュワントナーの一連の曲群や、ペンデレツキの「ピッツバーグ序曲」、黛敏郎の「トーンプレロマス'55」などが挙げられる。

かつては管弦楽曲を吹奏楽編成用に編曲してよく演奏されていたが、最近では吹奏楽用に作られた曲も多く演奏されるようになってきている。曲種としては、交響曲、交響詩、組曲、序曲など多岐にわたっており、芸術性の高い作品が多くみられる。
アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

またもっとも重要な曲種である行進曲においてはアメリカ合衆国のスーザをはじめとして、イギリスのアルフォード、ドイツのタイケらが名曲を数多く残しており、この3人を筆頭として多くの行進曲が現在なお演奏されており、また今も多くの作曲家が曲を書いている。